無言館の館長・窪島誠一郎さんは後悔しているそうです。
戦没画学生慰霊美術館『無言館』について「そうじゃないのに!」という想いがあるようです。
(戦没画学生:美術学校在籍中・後に出征して戦死した美術学生)
今回、無言館・窪島誠一郎さんは何を後悔しているのか?
一方で、戦没画学生への一途な想いとは何か?を調べました。
無言館・窪島誠一郎の経歴
~無言館の開館まで~
窪島誠一郎
(くぼしま せいいちろう)
1941年(昭和16年) 東京都 生まれ。
出生後、靴修理職人の養子となる。
●高校卒業後
深夜喫茶のボーイ、ホテル従業員、印刷工、珠算学校の手伝い等で金を貯める。
●1963年(昭和38年)
21歳の時、養父母の靴店を改修してスナックを経営、その後5軒まで店を増やして成功。
●1964年(昭和39年)
芝居好きが高じて小劇場『キッド・アイラック・アート・ホール』を設立。
●1979年(昭和54年)
『信濃デッサン館』
(現・KAITA EPITAPH 残照館)を設立。
趣味で収集していた画家・村山槐多や関根正二などの絵を展示する。
●1997年(平成9年)
画学生130人の600作品を集めた『無言館』を設立。
1994年 戦地から戻った洋画家・野見山暁治と出会い、
「戦死した仲間の絵がこの世から消えてゆくのが悲しい」
「放っておくと彼らの絵はこの地上からなくなる」という野見山の想いを知る。
それに触発された窪島は「絵を消滅させたくない!」という衝動に駆られ、3年半をかけて戦没画学生の絵を収集した。
※現在、80歳を超えても全国の遺族の元へ訪れて絵を収集している。
無言館・窪島誠一郎の
3つの後悔
①自分は絵の収集にふさわしくない!?
窪島誠一郎さん「絵の収集は自分がやらなくてもいい仕事なのでは?」という後ろめたい気持ちがあったとか。
戦没画学生の絵の収集で遺族の元へ訪れる内に、これは戦争を振り返る仕事でもあると気づいたそうです。
窪島さん「自分は彼らの絵がこの地上から消えてしまうのが嫌だっただけ!」
「戦争の傷跡をたどるとか、戦争犠牲者の鎮魂に努めようだとか・・・そんな意識は、これっぽっちもなかった」
さらに窪島さんは苦悩します。
「太平洋戦争が開戦した昭和16年に生まれたが、私は戦争を知らない」
「物心ついた時には戦後の高度経済成長の波に乗って稼ぐ事しか興味がなかったし、絵を収集するのに功名心もあったし・・・」などと語ります。
こうして窪島さんは・・・
戦争を知らない、戦争への鎮魂の気持ちがない自分が絵を収集して良いのか?と後悔します。
➁遺族から絵を取り上げる?
戦禍の中で守り抜いた戦没画学生の絵は遺族にとって、戦死者との思い出であり・・・
いわば大切な『愛のカタマリ』
それを自分は遺族から取り上げている?と悩んだそうです。
そんな中・・・遺族から「国が作った美術館なら絵は預けなかった」
「あなたが国から一銭の援助ももらおうとしない民間人だから、遺族は絵を預けようと思ったのでしょう」と励まされたそうです。
③絵が反戦の道具にされる
戦没画学生の絵を展示する無言館は、戦争悲劇の象徴として捉えられることが多いとか。
毎年、終戦記念日が近づくと、戦没画学生を戦争犠牲者として「無念の涙」「未完の絵画」など、悲劇的な紹介をされるそうです。
窪島さん「戦争で絵が描けなかった不幸な若者たちと取り上げられた事に、亡くなった画学生はどう思うのか?」
「無言館が彼らの生身の死に加えて、表現者としての死も強いてはいないか?」などと、苦悩しているそうです。
無言館・窪島誠一郎の
戦没画学生への一途な想い
時々、無言館を訪れた人たちから・・・
「案外、明るい絵が多いんですね」「戦争時代でもこんな絵が描けたんですね」など
戦争という闇を少しも感じさせない、という感想をもらうそうです。
窪島さん「画学生は、反戦・平和とか憲法9条のために絵を描いていない」
「ただただ愛する人を描いた。そこにあるのは絵を描く喜びなんだ!」
つまりあの苦しい時代を絵を描く事で真摯に生きぬいた『青春の証』だから明るい絵なんだと言います。
ある若者は愛する婚約者や妻を描きました。
敬愛する父や母、可愛がっていた妹・弟を描いて戦地へ発ちました。
または、子供の頃に遊んだ故郷、夢を語り合った友の絵を残して出征しました。
そこに描かれたのは戦争に苦悩する姿ではなく・・・
戦時下でも笑顔を失わず、愛する者との束の間の幸せに浸ろうとした平穏な日々でした。
窪島さん「絵描きにとって絵がなくなる事は死ぬ事と等しい」
「だから『生きた証』が消えないように絵を残していきたい」
【動画】
無言館・窪島誠一郎の
後悔・想いのまとめ
今回、無言館・窪島誠一郎さんは何を後悔しているのか?
一方で、戦没画学生への一途な想いとは何か?を調べました。
館長・窪島誠一郎さんは野見山暁治さんとの出会いから・・・
“戦没画学生の絵を消滅させたくない” 衝動に駆り立てられて絵を収集、無言館をつくりました。
そこには3つの後悔がありました。
3つの後悔
1. 戦争を知らずに戦争への鎮魂もないので絵を収集するべきじゃない
2. 戦没画学生の大切な絵を遺族から取り上げているようだ
3. 絵が戦争悲劇や反戦の道具にされるのは亡くなった画学生の本意ではない
しかし、この後悔は戦没画学生の絵に対するリスペクトの現われだと思います!
これによって、窪島誠一郎さんは一途な想いが芽生えました。
窪島さん「無言館を反戦平和の美術館・戦争記念館と捉える人が多いが、必ずしもそうではない」
「愛する者(物)を描いた絵に命がある。絵があれば彼らは死んでない!」
「彼らのもっと描きたい!もっともっと僕はこの絵を描きたいんだ!という情熱を感じてもらいたい」
無言館の館長・窪島誠一郎さんは、この一途な想いから80歳を過ぎた今でも全国の遺族の元を訪れています。
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